建礼門院右京大夫 和歌「月をこそ」
▽原文
十二月一日頃なりしやらん、夜に入りて、雨とも雪ともなくうち散りて、村雲騒がしく、ひとえに曇り果てぬものから、むらむら星うち消えしたり。引き被き臥したる衣を、更けぬるほど、丑二つばかりにやと思ふほどに、引き退けて、空を見上げたれば、ことに晴れて、浅葱色なるに、光ことごとしき星の大きなるが、むらもなく出でたる、なのめならずおもしろくて、花の紙に、箔をうち散らしたるによう似たり。
今宵初めて見そめたる心地す。先々も星月夜見なれたることなれど、これは折からにや、ことなる心地するにつけても、ただ物のみ覚ゆ
月をこそ眺め慣れしか星の夜の深きあはれを今宵知りぬる
(建礼門院右京大夫『建礼門院右京大夫集』251)
▽現代語訳
にぎやかな都に居た頃は、月をこそ、美しいものとして眺めていました。しかし月の影にかくれて、ひっそりと強く、こんなにも美しい星々のまたたきが、大空から私を見つめていたことを、今宵わたしは初めて知りました。孤独な旅の途中で・・・。
(没落へと向かう平家一門、政治的な策略により殺されてしまった恋人、かつての面影をすっかり失ってしまった主人。栄華を極めた生活から一転し、逃げるように都を離れていたときのこと、その旅の途中において)
旧暦12月1日(新月・月のない夜)の頃だったろうか。
夜になって、雨と雪がまざったような冷たいみぞれが、空から降りつづいていた。
真っ黒にたちこめる雲の内側はごろごろとなり、この悪天候のためか、雲の隙間から星もまだらにしか見えぬ、暗い冷たい夜であった。
私は頭まですっぽりと布団をかぶって眠っていたが、夜更けに目が覚めてしまった。
なんとなく外の様子が気になって、寝所から出て空をみあげると、さきほどまでの悪天候がうそのように晴れ渡っていた。
浅葱色(薄い藍色)を背景に、星々は大きく輝き、いたるところでちかちかとまたたいていた。
それはまるで、華やかな色紙に金箔をちらしたようで、私は寒さも忘れて夢中で眺めつづけた。
星空の美というものを、本当の星空をいうものを、そのときはじめて知った気がした。
今までも、都でなんども星をみていたことはあったけれど、こんなにも強烈に美しいものは他にないと思われるほどであった。
それは、星の光が月のように輝く夜のことであった。
▽以下、君嶋亜紀氏の著作より一部抜粋
天空に輝く星に死者の面影を重ねているのか、星の美に一瞬でも悲しみが浄化されているのか、また、ともに眺める人のいない現実に立ち戻っているのか。
凍てつく冬の比叡山の麓、森閑とした冷気の中、澄んだ夜空に光輝く星々をひとり見上げる女性の姿には、さまざまな想像がかきたてられるが、星を見て彼女が感得したものは何より悠久の時の流れではなかったろうか。
華やかであった平家の時代、その中心で輝いていた中宮徳子、物思いばかりさせられた恋人――すべては失われ変わってしまった。
右京大夫はここに至るまでの過去と今を対比して回想にふけってきた。
しかし天空に輝く星の美は、この瞬間、そうした人の世の流転を、地上のささやかな時の流れを超える感慨を彼女にもたらしたのではないだろうか。
右京大夫はこの場面によって星の美の発見者の名を和歌史上に刻まれたが、彼女自身はこの場面で、悲しみにくれていても星の美を感じる心が自身に残っていたことを、言い換えれば悲しみの切れ目を発見しているようである。
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