柿本人麻呂 和歌「天の海に」
天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ(『万葉集』1068)
海と見間違うほどに深い藍色をした天の夜空に、
透きとおった雲が白波のように幾重にもたちのぼっていくのがみえます。
きらめく銀河に浮かぶ月は、西に向かって舵をとり、
あかるい星雲の群れの中へ、ゆっくりと進んでいきます。
一切の迷いを捨て、新世界へと旅立つその力強い後ろ姿を、
私は一晩中飽きることなく見つめていました。
『万葉集』は今からおよそ1260年ほど前に成立した、日本最古の歌集です。
感動や祈りの心を率直な言葉でのべる歌と、公の場において聴衆へ向かって宣言する、やや政治的な歌を多く収録しています。
(政治的な歌が多い要因として、公の場で発表された歌は皆が知っていて、かつ記録にのこりやすいという性格と、漢詩の影響が指摘されています。)
この和歌は、歌聖と崇められた柿本人麻呂の作とされています。
幻想的な光景を歌ったものですが、ことばの質感は硬く、おそらく、本歌にあたる漢詩があったのではないかと思われます。
「天」「海」「雲」「波」「月」「星」「林」と、美しいモチーフが宝石のようにちりばめられています。
ロマンチックな感受性が、千年の時をこえて瑞々しく共感されることに、私は驚くばかりです。
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