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※表記・歌番号は「旺文社 百人一首の手引き」に従いました。

※この色は私的解釈です。撰者は藤原定家さんですし、これは裏の裏まで楽しむべきです。しかし日本は清いので、古語試験の安全は保障しかねます。​

001 秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつ(天智天皇・後撰・秋中)

正しい訳|秋の稲田の番をするために建てた仮の小屋で夜を明かして見張っていると、その屋根をふいた苫の網目があらいので、私の袖は夜露にしきりにぬれることだ。

私的解釈|「秋」この恋にあきる。「田のかりほの庵」実りを番する。この恋の行く末を案じる私の視線。恋人の訪れる気配のない夜。「苫を荒み…」この恋の懊悩は悟られぬよう隠していたが、すきまから涙があふれてしまい、涙をぬぐってばかりいる私の袖はまるで露にぬれたようにぬれそぼっている。

​002 春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天の香具山(持統天皇・新古今・夏)

​正しい訳|春がすぎて、いつのまにか夏がきたらしい。夏になると白い衣をほすという天の香具山に、真っ白な着物がほしてあることです。

003 あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む(柿本人麻呂・拾遺・恋三)

正しい訳|山鳥のあの長くたれさがった尾のように、長い長い秋の夜を、恋しい人とも会うことができず、ただひとりわびしく寝ることであろうなあ。

私的解釈|飛鳥時代のクレバーでミステリアスなラッパーこと歌聖・柿本人麻呂さん。ここでも絶好調だZE!尾!尾!なが!なが!思わず口ずさんでしまうフレーズですが、とってもお上品です。

004 田子の浦にうちいでて見れば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ(山部赤人・新古今・冬)

正しい訳|田子の浦のながめのよい場所に出てみると、真っ白い富士の高嶺にさかんに雪がふっていることだ。

005 奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿の声聞く時ぞ秋は悲しき(猿丸大夫・古今・秋上)

正しい訳|奥深い山のなかで、散りしいた紅葉の落ち葉をふみわけながら、鹿が妻を求めて鳴いている声を聞くときは、とりわけて秋が悲しくかんじられることだよ。

006 鵲の渡せる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける(中納言家持・新古今・冬)

正しい訳|七夕の夜、織姫はかささぎの渡した橋を通って彦星に逢いにいくという、そのかささぎが翼を広げて天上にかけた橋に、白くなるほどに霜がおりているのをみると、夜もすっかりふけたことだなあ。宮中の橋を七夕伝説の橋にたとえて詠む。冬の夜、宮中に宿直したときによんだといわれている。

私的解釈|クリスマスの日に同僚の残業を肩代わりして、ちょっとつかれて、やけにしずかだなあと外をみたら雪が降っていたとき。世界中から隔離された安らかなオフィスのまんなかで窓ガラスの冷たさを独り占めしているとき。

007 天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも(阿倍仲麻呂・古今・羇旅)

正しい訳|大空をはるかにふりあおぎみると、月が昇っている。あの月は、むかしふるさとの春日にある三笠山からのぼった月と同じなのだな。

歌人・阿倍仲麻呂さんはスーパーエリートで、唐に留学したまま唐でガッツリ就職し、文学でバリバリ働いてブイブイ漢詩を嗜んで高官となりましたが、結局日本への帰国は叶わず、唐でなくなりました。この和歌は、「日本に帰ってもいいよ」と帰国のお許しが出て、みんながヤッピー送迎会を開いてくれたときによんだものと言われています。

008 わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり(喜撰法師・古今・雑下)

正しい訳|わたくしの草庵は、都の東南にあたり、このように安らかに住んでいる。それなのに世間の人々は、ここを世を厭って住む宇治山だと言っているそうです。

009 花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせし間に(小野小町・古今・春下)

​正しい訳|桜の花は色あせてしまった。なすこともなく降り続く春の長雨が降っていた間に・・・。私も同じ。この身はすっかり衰えてしまった。むなしい恋にあけくれて、ぼんやりと物思いにふけっている間に・・・。

010 これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸・後撰・雑一)

​正しい訳|ここですここが、東国へ行く人も、都へ帰る人も、知り合いも知らないどなたですら、別れてはまた逢うという、あの有名な逢坂の関ですよ。

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