月のおもしろかりける夜あかつきがたによめる
夏の夜はまだ宵ながらあけぬるを雲のいづこに月やどるらむ
(月の美しかった夜の明け方に詠んだ和歌)
夏の夜はまことに短く、まだ宵であるからといってのんびり月を楽しんでいたら、もう朝になってしまった。
こんなに早く明けてしまっては、さっきまで私を楽しませてくれたお月様も西の端に沈む間もなくて、困っていることだろう。
さあ、いったいどの雲の後ろに、お月様はお宿を借りているのだろうか。
よしではその宿るお月さまをさがすのだといって、雅な酒の席はまだ続く・・・という余韻。
宴の席にて、先においとましようとしたこれさだの親王を、西の端に沈むお月様にたとえて引き止めた伊勢物語が連想される。
冬ながらそらより花のちりくるは雲のあなたは春にやあるらむ
今は花のないはずの雪に閉ざされた冬でありながら、空から六花のかけらがちらちらと降りおちてくる。ははあ、なるほど。あの灰色にみだれた雲の向こう側はもう春がきているのだろう。
昨日と変わらぬ寒々とした景色のなかに、かすかな春の予感を期待する歌。
雲の向こう側では、すべての四季が大風にのって行き交い、地上に降り立つ日を待っているのだと考える。
深養父らしい、天象への親しみがこもった和歌である。
私は彼の感受性が好きだ。
幾世経て後か忘れむ散りぬべき野辺の秋萩みがく月夜を
たとえ幾世経とうとも忘れることができましょうか。
いいえ、忘れはしません。
あとは散るのみとなった、枯れ果てたこの秋萩たちに、やわらかな光を注いで輝かせる、
この慈愛に満ちた月夜の光景を。
真っ赤に燃え上がる紅葉の時期をすぎると、木枯らしにさらされた草木たちは死を迎えます。
枯れ果てた枝の先に、昼夜の寒暖差によってできた白露が、月の光を受けて宝石のごとくきらきらと輝く景色に、深養父は月の慈愛を見たのでしょうか。
敗者の立場から和歌を詠むことの多い、深養父らしい美の発見だと思います。
余談ですが、ギリシャ神話にエンデュミオンという物語があります。
永遠の眠りと引き換えに手にした若さとは、この白露の輝きのことのように私は思います。
月の愛をうけて輝く、はかないもの・・・。