清原深養父 和歌「幾世経て」
幾世経て後か忘れむ散りぬべき野辺の秋萩みがく月夜を
たとえ幾世経とうとも忘れることができましょうか。
いいえ、忘れはしません。
あとは散るのみとなった、枯れ果てたこの秋萩たちに、やわらかな光を注いで輝かせる、
この慈愛に満ちた月夜の光景を。
真っ赤に燃え上がる紅葉の時期をすぎると、木枯らしにさらされた草木たちは死を迎えます。
枯れ果てた枝の先に、昼夜の寒暖差によってできた白露が、月の光を受けて宝石のごとくきらきらと輝く景色に、深養父は月の慈愛を見たのでしょうか。
敗者の立場から和歌を詠むことの多い、深養父らしい美の発見だと思います。
余談ですが、ギリシャ神話にエンデュミオンという物語があります。
永遠の眠りと引き換えに手にした若さとは、この白露の輝きのことのように私は思います。
月の愛をうけて輝く、はかないもの・・・。
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